では,検察官は,どのような点について,どのような検討を加えるのでしょうか。

 まず,何よりも大切な点は,いま目の前で勾留されている被疑者が,問題となっている犯罪の犯人であるかどうか,もう少し噛み砕いて言うならば,人違いではないだろうか,という点です。現実に罪を犯していない人を拘束した上に裁判にかけるなどということは,あってはならない事態ですから,ここはとても慎重になります。上の設例でいうと,19歳の少年Hが犯人として疑われているところ,人違いではないか,間違って,真犯人でもなんでもない少年を誤認逮捕しているのではないだろうか。このような点を検察官は入念に吟味します。

 このような吟味を行うに当たって,検察官は,被疑者の取調もさることながら,他の証拠を重く見ます。たとえば,凶器に被疑者の指紋がついてはいないか,被疑者の衣服に返り血はなかったか,あったとすればその血液型やDNAは殺された女性のものと一致するか,犯行現場を見た目撃者はいなかったか,犯行現場ではなくても,犯行時刻の前後に被疑者を現場近くで見かけた人はいないか,等々。
また,検察官は,被疑者が女性を殺害するに足りる動機を持っていたかどうかという点も重視するかもしれません。設例では,少年Hは,殺された女性から,その妹との結婚についてかねて強く反対されていたということですから,婚約者の姉である女性を恨んでいた,そこで,殺害する十分な動機があった,だから,少年Hをこの事件の真犯人と考えたとしても間違いはないのだ,と考えるかも知れません。

 次に,検察官は,問題となっている事件では,いったい何という犯罪が成立するのだろうか,そしてその犯罪が間違いなく起こったことを支える事実は何だろうか,という点を検討することとなります。

 冒頭の設例では,若い女性の刺殺死体が発見されたという事実を捉えて,私は何の疑いもなく「殺人事件」と書いてしまいました。この記述を基にすれば,殺人罪という犯罪が成立したということが,暗黙の前提となっています。
しかし,本当にこれは殺人事件なのでしょうか。違う犯罪だったのではないでしょうか。この疑問を解決するためには,下のような点を考える必要があります。

 まず,「殺人」というからには,それは,人の死をもたらすような,とても危険な行為を意味するでしょう。したがって,少年Hを殺人犯として考えるためには,このような危険な行為を伴ったという事実が認められなければなりません。このような危険な行為があったのかなかったのか,検察官は,どのようなことに気を付けて吟味するのでしょうか。たとえば,被害者女性は,どのような凶器で刺されていたのでしょうか,長い刃体を持つ鋭利なナイフでしょうか,それとも文房具としての薄っぺらいカッターナイフだったのでしょうか。また,女性はどこを刺されていたのでしょうか,人体の急所である心臓だったのか,それとも,どこか急所以外を刺されて,その傷が原因で失血死したのでしょうか。

 次に,「殺人」というからには,「人」を「殺」す意図がなければ殺人とは言えません。この「人を殺す意図」のことを,「殺意」といいます。設例で,少年Hには殺意があったのでしょうか。ここで,警察官の取調に対して,少年Hは,殺すつもりでやりました,と自白していたとしましょう。でも,人を刺す瞬間の前後って,気が動転して尋常な精神状態でないことのほうが普通でしょうから,本当に殺意があったかどうかなどということは,よく覚えていないかもしれません。このような場合,検察官は,少年Hのこのあやふやな自白だけに頼らず,得られた証拠に基づき,別の観点から殺意の有無を判断しようと考えます。これについては,後ほど機会を設けて,やや詳しくお話しいたします。
 
 このように,検察官は,凶器や血痕といった物的な証拠や,目撃者や他の関連者,そして少年H自身といった,いわば人的な証拠を取り調べることによって,真犯人は少年Hである,少年Hは,具体的にこれこれこのように女性を刺した,刺した際には,少年Hは女性を殺害しようという殺意を持っていた,この殺人の動機はこれこれだ,というような仮説としての主張を作り上げます。検察官がこのような作業をすることを捉えて,作家大岡昇平は,検察官のことを「犯罪の輪郭を描く,いわば創造者である。」と言っています(『事件』)。

 これまで述べてきたような検察官による吟味・検討。そして,仮説・主張の形成。これらは全て法的思考に基づいてなされる行為です。