これから,本連載で,法律家が用いている法的思考について解説していくわけですが,そもそもまず,法律家とはどのような人達を指すのかを明らかにしておきたいと思います。手許の『広辞苑』で「法律家」の項目を調べても,「法律の専門家」とだけ書かれ,抽象的なので,具体例を挙げながら説明しましょう。
大学等で法律を学問として研究し,教えている学者を別とすれば,法律家とは,法律を仕事の道具として用い,生活実際上の問題を取り扱うことを職業としている実務家を指します。その典型例が,「はじめに」でも触れた裁判官,検察官,及び弁護士です。もっとも,この三者に限らず,弁理士,司法書士,行政書士,社会保険労務士といった職業人も,日常の仕事に法律を使っているのですから法律家に含めてよいと思いますし,ふつうは法律家と呼ばれていないであろう税理士も,難しい税法を駆使して日々仕事をこなしているので,法律家に属するといって良いかもしれません。また,省庁や地方自治体の行政職員も,毎日の仕事は,法律を忠実に執行し問題を解決することを内容としているはずですから,法律家と呼んでも差し支えないように考えられます。国会に提出される法律案を審査することを仕事の一つとしている内閣法制局のような部局に務める公務員も,また然りです。警察官だって,職務質問したり,被疑者を逮捕したり,取調べをしたりという仕事は,まさに法律に基づかなければできないことなので,法律家に含めて良いように思われます。
このように,「法律家」という概念はとても幅広いもので,しかも,その外延は必ずしもはっきりとはしていないのが実態でしょう。
本連載で用いる「法律家」は,主に,裁判官・検察官・弁護士
上に列挙した様々な職業人のうち,これから本連載で「法律家」として取り上げる職業人は,主として,裁判官,検察官,及び弁護士の3つを指すことにします(一般に,これら3つの職業を総称して,法曹三者と呼ぶこともあります。)。
その理由は,法的思考が特に際立って現れる場面は,なんといっても裁判をめぐる仕事をしているときが最も顕著なのですが,実際に裁判を進行したり,裁判の当事者になったり,あるいは,裁判の当事者を代理して裁判手続に携わったりすることのできる職業人は,原則として,裁判官・検察官・弁護士(法曹三者)に限られると,法律で決まっているからです。例外的に,法曹三者以外に弁理士や司法書士も,法律に基づき,職業として民事裁判に関与することができますが,これらはあくまでも例外的な位置づけとされています。つまり,日本では,裁判手続に主体的に携わっていくことのできる職業は,裁判官,検察官,及び弁護士の三者であるというのが法律上の原則なのです。
裁判官・検察官・弁護士はどのように裁判に関わっているか?
裁判官,検察官,及び弁護士の三者が,どのように裁判に携わるのか,そして,どのような局面で法的思考を使って仕事をするのかという点に関して,簡単な例を用いてご説明しましょう。
設例
ある山林で,若い女性の刺殺死体が発見され,その後,殺人事件の被疑者として19歳の男性Hが逮捕された。この未成年男性は,殺された女性の妹と許嫁(いいなずけ)関係にあったが,被害者(=殺された女性=婚約相手の姉)から,妹との結婚について,かねて強く反対されていた。
※「被疑者」というのは,犯人だろうと疑われる人のことです。マスコミ等一般的には「容疑者」という言葉が使われますが,法律用語としては「被疑者」という言葉を使いますので,以下,本連載で使う場合はこの用例に倣います。
この設例は,大岡昇平という作家による『事件』という小説をモチーフとしたものです。こんなに単純化してしまっては,名作と大作家に対してたいへん失礼ではあるのですが,私にとって本格的な犯罪事件の原型は,高校生時代に初めて読んだこの『事件』なので,無礼を顧みずに拝借させていただくこととしました。
さて,被疑者を逮捕する主体は,多くの場合,警察官ですが,その警察官は,自分の扱っている事件を,裁判にかけるかどうかについて最終的に判断することは,法律上できません。被疑者を罰するために裁判にかけることにしようと,あるいは裁判にかけるまでもないだろうと,最終的に意思決定することのできる主体は,検察官という法律家だけであると,法律で決まっているのです。そこで,被疑者を逮捕した警察官は,裁判にかけるかどうかの判断を検察官にしてもらうため,その被疑者自身を車に乗せて,関連書類と共に検察官に送り,事件そのものを,警察の持分から,検察官の領分へと移します。これを「送検」と呼びます。すなわち,「検」察官に「送」るという意味です。ちなみに,被疑者が警察官によって逮捕されていない場合には,警察官は被疑者その人を拘束しているわけではありませんから,被疑者その人を検察官に送り付けることは物理的にできません。したがって,このようなときは,被疑者を警察署等に呼んで取り調べた結果を記録した書類や証拠だけを検察官に送ります。このことを「書類送検」と称します。記憶に新しい例として,たとえば,横綱日馬富士関が貴ノ岩関に暴力を振るった事件では,日馬富士関は逮捕されませんでしたから,書類送検されたわけです。
ところで,送検を受けた検察官が,その事件を裁判にかけるかどうかについて意思決定するためには,多くの時間をかけて集中的に取調べをしなければならないと判断したとしましょう。そのようなときは,被疑者を更に一定期間拘束させてもらえるよう裁判官に申請します(これを,正確には「勾留請求」といいます。)。この申請が裁判官に認められれば,被疑者は20日間を限度として,刑事施設の中に拘束されます。この身体拘束を「勾留」と呼びます。検察官は,この勾留期間のあいだに,被疑者を取り調べ,あるいは,いろいろな証拠をかき集め,裁判にかけるかどうかについて,あれやこれやと思い悩むのです。そして,まさにこの思い悩む過程において,法的思考が使われるのです。とは言っても,検察官は,公益つまり公(おおやけ)の利益を代表する職業人ですから,世の中の安寧といったものを重く見ますし,同じような犯罪が繰り返し起こらないようにしようとする使命感に燃えています。そこで,どちらかといえば,勾留されている被疑者を裁判にかけて罰するという意思決定に達する傾向が強いと言えましょう。
検察官はどのようなことを考えるのか
被疑者の勾留を裁判官に認めてもらった検察官は,この被疑者を裁判にかけて裁くかどうかを決めるため,勾留期間を利用して取り調べ,また,証拠を収集し,法的思考を駆使して,本格的な検討に入ります。
では,検察官は,どのような点について検討を加えるのでしょうか。